2022-3-20 松江の神社を訪ねる その63

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2022年3月20日(水) 松江の神社を訪ねる その63 鹿島・春日・石橋

 鹿島町誌(昭和37年)を見ると、恵曇神社(佐陀本郷)の飛地境内社として、毛之神社(佐陀本郷朝日山2141)が載っています。朝日山の峰頭にあり、本郷一円で信仰されているとされています。しかし、恵曇神社では、「聞いたこともなく、お祭りもしていない。」とのことでした。佐陀本郷でお年寄りさんに出会い、聞いてみると、「以前はお参りに行っていた。88ヶ所巡りの途中の少し広い場所にあった。名前は恵曇神社と言っていた。」とのことでした。
 朝日山へ登り、朝日寺の手前から88ヶ所巡りをたどると、70番の所に石造りの祠のようなものがあり、注連縄が張ってありました。お寺の真裏になるようなところで、寺から上がった方が近かったようです。祠の前に説明文が立ててあり、「朝日山権現様をお祀りしています。」と書かれていました。山へ登っておられた方に尋ねると、「最近、和尚さんが、注連縄を張ったり、説明文を作られた。」とのことでした。
 説明文には、町誌にある「毛之神社」のことは触れられていませんが、麓のお年寄りの話や、他には境内の稲荷社を除いて祠はないとのことなので、この祠が、「毛之神社」の名残りなのかもしれません。
 (後日、朝日寺に確認すると、町誌に「毛之社」として載っているもので間違いないとのことでした。)
 「出雲国風土記註論」などによると、風土記に載る「毛之社」は、この朝日山にあった七所神社だとされ、現在は古志町の杢屋神社に合祀されているとしています。
 しかし、古江村誌では、杢屋神社に合祀されている「七所神社」は、もと三笠山にあり、その後野間に移り、大正元年に合祀されています。雲陽誌には秋鹿郡の本郷に七所神社、古志に七所権現の記載があり、古志の七所権現が杢屋神社に合祀されているとすると、朝日山の七所神社はどうなったのでしょうか。町誌にあるように佐陀本郷で信仰されていたものなら、関係のない古志町の神社へ合祀されることはないと思われます。

 北講武で、堀部にあったという諏訪神社の跡を探してみました。堀部という地名は堀部史跡公園もあることから、多久の湯や福祉施設があるあたりになるようですが、近くの家で尋ねても、情報は得られませんでした。

 阡佰荒神を尋ねて、阡佰という屋号の家を訪ねましたが、「家の後ろの竹やぶにあったが、しばらく前から祀っていない。竹が密生して、行ける状況ではない。」とのことでした。

 田原神社の旧社地が田原谷池附近の山にあるということで、田原社跡地で祀られていた本宮が合祀されている須賀神社で尋ねてみましたが、「わからない。田原神社で聞いてみて。」とのことでした。田原谷池の近くで尋ねてみましたが、本宮跡はわかりませんでしたが、関連があると思われる、地区の総荒神の場所を教えていただきました。山の斜面の住宅地を突き当たると、山への道があり、竹やぶの中を進むと、一対の狛犬が並んだ小さな石祠があり、これが春日地区の総荒神でした。ここが、跡地なのか、山の頂上のほうになるのか、今後また調べてみます。引き返して、出口の手前から山際を回ったところに、お堂があり、中に「鹿谷阿弥陀堂」書かれていました。

   松江の神社

朝日山権現社

朝日寺稲荷社

鹿島町佐陀本郷
朝日山権現
鹿島町佐陀本郷
朝日寺の稲荷社
鹿島町北講武
諏訪神社跡

阡佰荒神

春日総荒神跡

鹿谷阿弥陀堂

東生馬町
阡佰荒神跡
春日町
春日総荒神
春日町
鹿谷阿弥陀堂

水神社

石橋町千手院下
水神社


島根県松江市の野草や樹木、シダを載せています。
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