2022-5-29 松江の神社を訪ねる その78

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2022年5月29日(日) 松江の神社を訪ねる その78
 佐草町 山神神社跡、八幡宮跡、八雲町 菅原天満宮跡

 八重垣神社で、境内社の旧社地について尋ねると、山神神社跡や脚摩乳神社に合祀されている八幡宮跡はわかりましたが、貴布禰神社に合祀されている稲荷神社跡や、神国島根にある境外社の客神社はわかりませんでした。
 テイカカズラ、田んぼの畦にマメカミツレ、タチイヌノフグリ、山際にハナウド、河原にホソバツルノゲイトウ、オオスズメノカタビラがありました。
 タチイヌノフグリの淡色の花は初めて見たような気がします。田んぼの畦なので、薬剤による影響があるのかもしれません。ハナウドは今まで八雲町の2箇所で見ていますが、どちらもその後が不明ですが、今回新しい場所で確認できました。河原にあったホソバツルノゲイトウは以前にはたくさんあったのですが、今回は1株しか見かけませんでした。増水時には流れの下になる場所なので、安定して広がることができないのかもしれません。

佐草町
テイカカズラ
佐草町
マメカミツレ
佐草町
淡色のタチイヌノフグリ

八雲町
ハナウド
八雲町
ホソバツルノゲイトウ
八雲町
オオスズメノカタビラ

佐草町金起 山神神社跡

 八重垣神社のHPに境内社の項があり、山神神社の旧社地について、「以前は佐草の里西側の山中、金起の旧街道沿いに祀られてあったものを明治頃に八重垣神社の境内に遷された御社です。」とあるので、八重垣神社でおおまかな場所を教えてもらいました。金起という地名は、古い地形図を見ると、八重垣神社から県道を南へ上がり、井戸路を過ぎて、山口公民館があるあたりを言うようです。

 八重垣神社で「山口公民館の手前から山へ入った尾根の旧街道沿いにあり、今でも石垣が残っている。」とのことだったので、山口公民館の手前で尋ねると、家の前から山越えの道があるとのことでした。家の前から北へと道を進み左へ折れると、すぐ尾根に上がります。尾根の道は旧街道らしく、脇に石地蔵や敷石が残っています。尾根を右へ行き、しばらくすると、左手に石垣があり、その上の平場に「山ノ神神社跡」と標柱が立っていました。標柱は平成24年に立てられたものでした。

 神社跡からも北へ向かって道は続いており、八重垣神社や西側の集落林原に向かっているようで、いつかこの旧街道を歩いてみたいと思います。

   松江の神社

佐草町金起
右端の山にある。
民家の前から山へ向かう。 草が多くなる。

左へ折れて尾根へ向かう。 尾根を右へ進む。 道端に石地蔵がある。

石垣が残っている。 標柱が立っている。 奥に壊れた石祠のようなものがある。

先へ道が続いている。 敷石が残っている。

昭和31年印刷の地理院地形図

佐草町南口 八幡宮跡 

 八重垣神社のHPに境内社の項があり、脚摩乳神社の説明に、「合わせて佐草字客山に鎮座していた八幡宮の譽田別命をお祀りしています。」とあるので、八幡宮の旧社地について八重垣神社で尋ねると、南口集落の外れに子供が遊ぶ公園のようなものがあり、そこにあったようです。」と、おおまかな場所を教えていただきました。

 南口集落の北東の外れにフェンスに囲まれた小さな広場があり、近くの人に尋ねると、「ここは地名が客山といい、昔神社があった。」とのことでした。

   松江の神社

佐草町南口
東側からの様子
フェンスに囲まれた広場がある。

広場の様子 西側からの様子


八雲町森脇 菅原天満宮跡

 八雲村誌の近世の神社の項に、「宝暦十四年(1764)当時の熊野の神社 菅原天満宮 (森脇 米田) 天満大自在天神 菅原と申所先年川缺に相成只今は川・米田に遷」とあるので、森脇の集落を訪れました。

 集落の家で尋ねると、「天満宮があったことはわからないが、この先の自動車会社の場所が『天神前』という田んぼだったので、その辺りにあったのではないか。」また、米田という地名を尋ねると、「そこから100mほど南へ行ったところの家の門名が「米田よなだという。そこにはなにかわからないがお堂があって、随分以前に本尊が盗難にあったことがあった。」とのことでした。
 詳しい場所はわかりませんでしたが、天神前や米田という地名から、このあたりにあったのではないかと思われます。

   松江の神社

八雲町森脇
中央が「天神前」
この家の門名が、「米田よなだ お堂がある。


島根県松江市の野草や樹木、シダを載せています。
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