2022-6-13 松江の神社を訪ねる その80

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2022年6月13日(月) 松江の神社を訪ねる その80 忌部地区

 忌部村誌に載っている神社や神社跡を尋ねることにしました。先ずは忌部神社の宮司さんに話を聞こうと思って訪ねましたが、不在のため尋ねることができませんでした。宮司宅のすぐ右手の林の中に比婆山神社がありました。
 素鵞神社は字天王にあり、宮内の金屋子神社の近くにあったようなので、近くで尋ねましたが、素鵞神社跡の情報はありませんでした。ただ、神社前の谷の奥が天王という地名だということがわかりました。
 大向にあったという七次(ななつぎ)神社跡を探して地形図にある大向地区へ向かいましたが、山の上まで上ってしまい、家もなく尋ねることもできませんでした。(6月17日に忌部神社で尋ねると、「山の上の家が『七次』という屋号で、その辺りにあったと思われる。」とのことでした。)大向地区は山の麓の集落が中心のようです。この麓にはお堂のような寺(正覚寺)があり、稲荷神社の跡のようです。  



東忌部町宮内 比婆山神社

 忌部神社の宮司宅の東隣りの林の中に小さな祠があり、比婆山社と扁額が掛かっています。近くには比婆山神社と案内看板も立てられていました。
 「比婆山神社 宮内部落和田勇宅東に接し伊弉冊命を祀る。社殿二尺四方銅板葺にして講員宮内及村内各部落に散在す。祭禮五月一日」(忌部村誌)

   松江の神社

東忌部町宮内
宮司宅の東隣
道路脇から石段がある。


比婆山神社 扁額

歳徳神

東忌部町宮内 素鵞神社跡

 素鵞神社は明治43年に忌部神社(元大宮神社)に合祀されていますが、元は東忌部町字天王にあったとされています。天王という字名がどこにあったか不明ですが、宮内の鏡大明神(金屋子神社)の境内にある金刀比羅社は元素鵞神社の境内にあったとされているので、この金屋子神社の近くに字天王があると思われました。
 金屋子神社の近くで尋ねると、素鵞神社のことはわかりませんでしたが、「金屋子神社の前の谷の奥が『天王』という地名だ。」ということでした。谷の奥は、現在崖崩れで道がなくなっていますが、この谷のどこかにあったものと思われます。
 (6月17日に忌部神社で尋ねると、もう少し南にあったようです。)

 「元素鵞神社 大字東忌部字天王に鎮座せり。祭神素盞嗚命を祀りしなり。御鎮座年代不詳なりと雖も古老の口碑に往古より祭祀ありて即ち天正年間以前の創立なりと云う。」
 「鏡大明神(金屋子神社) 境内に金刀比羅社あり元素鵞神社の境内にありしが大正十四年十二月現今の地に移転す。」(忌部村誌)

   松江の神社

東忌部町宮内
左が金屋子神社
谷の奥はこの先で行き止まり。

西忌部町大向 稲荷神社・八幡宮跡

 広域農道から大向地区の道路を山へ上っていくと、左側に古い石段が斜面を上っています。石段を上がると広場があり、古い錆びついたブランコや雲梯があり、昔は子供の遊び場にもなっていたようです。奥にはお堂のような建物があり、中には「正覚寺本堂」という棟札や「稲荷神、辨天寶殿、八幡宮」という神社の棟札もありました。また入り口の石段の上には、石灯籠と壊れた狐像があり、稲荷神社の跡のようです。近くの家で尋ねると、「お寺の跡で、神社ではない。詳しいことは私はわからない。」とのことでした。どのような経緯で、稲荷神社の跡地にお寺のお堂が建っているのかは不明です。

   松江の神社

西忌部町大向
古い石段がある。
広場の奥にお堂がある。 壊れた狐像がある。

お堂の内部

棟札 稲荷神、弁天、八幡宮 棟札 正覚寺本堂


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