2022-6-21 松江の神社を訪ねる その82

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2022年6月21日(火) 松江の神社を訪ねる その82 忌部地区

 忌部公民館のパンフレットに慈恩寺に天神社と秋葉社があるというので、お寺で尋ね確認しました。正面にあるのが秋葉社で奥にあるのが天神社ということでした。先日6月17日に続いて見残した、山智神社跡(大川端)、七次神社跡(大向)、廣畑神社(平口)、佐陀宮社(千本)、若宮社跡(下忌部)を訪ねました。


東忌部町大川端 山智神社跡

 山智神社は明治43年に忌部神社(元大宮神社)に合祀されています。忌部神社で尋ねると、大川端にあったということでした。

 大川端の集落で尋ねると、山にある神社跡まで、案内していただけました。「以前は、竹が密生して歩ける状態ではなかったが、竹を切り、なんとか歩けるようにした。」とのことでした。

 「元山智神社 大字東忌部字山神に鎮座事解字神伊弉那美神速玉男神を祀れり。御當社も御鎮座御由緒不詳なりと雖も口碑に往古より祭祀ありて創立前者(※天正年間以前の創立なりと云う。)に同じからんと。」(忌部村誌)

   松江の神社

東忌部町大川端
中央の森の中にある。
斜面に上がる。

竹林の中を上がる。 前方に石垣が見える。

敷地は広く大きな神社があったようです。 立派な石垣が残っている。 加工された石材がある。


西忌部町大向 七次神社跡

 西忌部町大向の山の上に2軒の民家があり、門名を『七次』というそうで、七次神社はこの辺りにあったと思われます。

 「元七次神社 大字東忌部字七次に鎮座祭神は国常立尊、国狭槌尊、豊斟渟尊、泥土煮尊、沙土煮尊、大戸之地尊、大苔邊尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照大御神、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天日々高彦火能瓊々杵命、天津日高日子穂々手見命・彦波建鵜葺草葺不合命を祀る。御當社の御由緒創立年代前社に同じ(※天正年間以前の創立なりと云う)。」(忌部村誌)

   松江の神社

西忌部町大向
2軒の民家がある。
西側の風景


東忌部町平口 廣畑神社

 平口地区で廣畑神社を尋ねると、「神社はわからないが、広畑荒神はそこの道を上った山にある。」とのことでした。神社跡に荒神が祀られているのかと山へ入ってみると、荒神の隣に神社がありました。

 「廣畑神社 平口部落福島宗太郎宅東上にあり。往古は久多美神社境内にありしも後世現地に移せリと、社殿三尺四方大鳥造なり、祭神は青機佐草姫、織布姫命を祀る。祭日三月廿八日なり。」(忌部村誌)

   松江の神社

東忌部町平口
中央奥の林内にある。
民家の脇を入っていく。 細い道が続いている。

右へ上がる。 右へ曲がる。

林内に注連縄が見えてくる。 注連縄が張られている。

石段の上に社が見えてくる。

文政8年廣畑大明神などの棟札がある。 神社に並んで広畑荒神が祀られている。



東忌部町千本 佐陀宮社跡

 千本地区の民家の間から竹藪の中を尾根に上がると小さな社があります。「社は残っているが、ご神体は忌部神社にお返しした。」とのことでした。
 佐太神社によると「佐太大神は世に云う猿田毘古大神であり」とされています。

 「佐陀宮社 千本部落小王谷組字佐陀宮にあり。常磐老樹の鬱蒼たる中に猿田彦命を祀る。享保年間佐太大社より御請奉り毎年神在月には神猿来りしものなりと云々、社殿三尺四方大鳥造祭日は十月六日」(忌部村誌)

   松江の神社

東忌部町千本
民家の奥の山へ向かう。
民家の前から細い路地を入る。

墓地の脇から山へ向かう。 竹藪を進む。

土橋を渡る。 斜面を尾根へ向かう。 尾根に石灯籠と社が見える。

石段の上に社がある。

境内の全体の様子

西忌部町下忌部 若宮社

 下忌部と乃白町の境あたりの民家を訪ねると、「松尾氏はこの家の前所有者で若宮社は家の庭にある。」とのことでした。

 「若宮社 下忌部部落松尾善助宅南畑中にあり。祭神少名彦命仝人にて祀る祭日不定」(忌部村誌)

   松江の神社

西忌部町下忌部
個人宅の庭に祀られている。

石祠には「若宮神社」と彫られている。


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