2022-6-17 松江の神社を訪ねる その81 |
2022年6月17日(金) | 松江の神社を訪ねる その81 忌部地区 |
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忌部村誌に載っている神社や神社跡を尋ねることにしました。先日は不在のため尋ねることができませんでしたが、今日は在宅で以下の神社の場所を詳しく尋ねることができました。 尋ねた神社のうち、今日は素鵞神社跡(東忌部天王)、天王社(平口)、厳島社(柳原)、金屋子社(柳原)、二本木社跡(大向)を訪ねました。 |
玉湯町 クロタネソウ(果実) |
東忌部町宮内 素鵞神社跡 |
素鵞神社は明治43年に忌部神社(元大宮神社)に合祀されていますが、元は東忌部町字天王にあったとされています。天王という字名がどこにあったか不明ですが、宮内の鏡大明神(金屋子神社)の境内にある金刀比羅社は元素鵞神社の境内にあったとされているので、この金屋子神社の近くに字天王があると思われました。 忌部神社で尋ねると、「金屋子神社から70mほど南の家の脇から細い道があり、その奥にあったようだ。」とのことでした。 「元素鵞神社 大字東忌部字天王に鎮座せり。祭神素盞嗚命を祀りしなり。御鎮座年代不詳なりと雖も古老の口碑に往古より祭祀ありて即ち天正年間以前の創立なりと云う。」 |
東忌部町宮内 |
奥の家の裏山辺りにあったようです。 | |
西忌部町大向 二本木神社跡 |
西忌部町大向の正覚寺前から上った家の石垣脇から細い道があります。道が大きくカーブする手前の左斜面に大向総荒神があり、その傍らに大きな松の木の切り株があります。忌部神社での話では、「随分前に大きな松の木は枯れてしまい、切り倒された。」とのことでした。 「二本木神社 右荒神(※大向総荒神)側にあり、昔七次神社御黨祭の時大雪の為参拝するを得ず止むなく仝地に止りて松の木を頼りに遥拝し祭事を終へたりしが現今同御黨祭(二月十八日には講員一同集りて祭事を行う。該松樹は現今逆枝を張りて実に数百年の樹齢を備え以て其昔を偲ばしむ。」(忌部村誌) |
西忌部町大向 中央の森が正覚寺 |
石垣脇の道を入る。 | |
林内へ道がある。 | 荒神が祀られている。 | |
大きな木の切り株がある。 |
西忌部町柳原 金屋子社 |
柳原地区の西端が広域農道に接する付近にあります。石垣の上に歳徳神と並んでおり、大きな石灯籠も立っています。道を挟んだ向かいには大日堂と柳原上組で祀る大日荒神があります。 「金屋子社 仝所(※柳原字大日)にあり、社殿三尺に四尺大鳥造、祭神金山彦命、柳原上組にて之をまつる。」(忌部村誌) |
西忌部町柳原 |
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金屋子社 | 大日荒神 | 大日堂 |
西忌部町柳原 厳島社 |
柳原地区の田んぼの中に小さな丘があり、こんもりとした杜になっています。山際を回るように道があり、山の斜面の参道を上がると、左に荒神が祀られています。頂上に上がると小さな祠が祀られています。 近所の方の話では、「子供の頃には『弁天さん』と呼んで、よく上がって遊んでいた。それ以来、もう何十年も上っていない。」とのことでした。 「厳島社 合殿比婆山粂神社 柳原部落にあり、祭神伊弉冊命、市杵島姫命、松浦萬之助之を祀る。祭日四月十六日 仝社賽路側に仝人持荒神及柳原下組荒神あり。」(忌部村誌) |
西忌部町柳原 田んぼの中の丘に杜がある。 |
山際を回るように道がある。 | |
山へ向かって道が上がっている。 | 参道脇に荒神が祀られている。 | |
石碑には三宝荒神と刻まれている。 | 頂上に祠がある。 | |
西側からの様子 |
西忌部町柳原 小祠 |
柳原下組生活改善センターの敷地に小さな石祠が祀られています。同じ敷地に歳徳神や一畑燈籠があり、神社の跡のようです。 |
西忌部町柳原 石の上に石祠が祀られている。 |
入り口にある一畑燈籠 | |
柳原下組生活改善センター |
東忌部町平口 天王社 |
東忌部町平口の個人宅の裏山にあり、個人で祀られています。 仝上(※平口部落)大崎にあり。社殿二尺四方大鳥造祭神素盞嗚命にして舟木庫造之を祀る。悪疫流行の際霊験ありと傳う。祭日十月十一日」(忌部村誌) 社から南へ山の斜面を上ったところに神木という大きな樹が祀られています。これは、八雲村誌にある、大崎荒神と思われます。 「大崎荒神 平口部落舟木庫造宅東上山林中にあり仝人之を祀る。祭日十二月廿五日」(八雲村誌) |
東忌部町平口 中央の山にある。 |
竹林の中に小祠がある。 | |
石が並んでおり、古墳ではないかと。 | 林内にある神木が祀られている。 大崎荒神? |
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